自動運転自動車は人の生活を変えるのか?

2016年07月19日

車の自動運転などまだまだ先の話と思っていたら、最近、アメリカの高級電動自動車を購入した人の話を聞くと、自動車の自動運転プログラムのバージョンアップが進み、自動運転の車が自分の家の車庫のシャッターを開けて、自動的に出ていくことができるという。
もうそんなレベルになっているんだと驚いた。
 
そう思っていた矢先、自動運転の自動車が初めて死亡事故を起こした。完全な自動運転にはまだ時間がかかりそうである。
しかし、それでも10年は経たないで自動運転の時代になるだろう。
車の完全な自動運転が可能になると、人の生活そのものが変わっていくように思う。
 
一番の違いは住む場所かもしれない。
車での通勤で1時間は長いが、自動運転であればその時間を有効に使うことができる。
極端なことを考えると、大型の車に乗り、車内で顔を洗って、新聞を読みながら朝食を食べ終わった頃にちょうど会社に到着。車内で着替えて、車から降りてすぐ会社ということも可能だ。
帰りは酔っ払っても(自動運転になったとき酒酔い運転がどうなるかわからないが)、自分の車にたどり着けば、寝ている間に自宅に到着である。
車の移動時間を十分に生活の一部の時間として活かせることになるだろう。
 
自宅が電車の駅から離れていても、自動運転で移動するなら関係なくなってくる。
不動産物件も駅から何分ということより、むしろ車が自由における環境のほうが住みやすいことになる。つまりタワー型の車庫では使いにくいということだ。
 
さらに電動自動車の特性を活かすなら、車ごと部屋に入れてしまうことも可能だろう。そうなれば、部屋の移動という発想になるかもしれない。
 
車は単なる移動装置となって、格好いい車とか、性能のいい車に次第に興味が薄れていくのは間違いない。窓などなくていいので、他人の車には興味を持たなくなる。
電動自動運転自動車は車社会の終わりの始まりなのかもしれない。
 
とは言っても、インターネットが社会に出てきたとき、家で仕事ができるので、通勤はなくなるような予測もあったが、決してそうなっていない。結局、人に会わないと仕事にならないようだ。
すばらしい未来を予測したいところだが、最終的には人間が動かねばならないのは変わらない。
インターネットの出現で人に会わないでも仕事が可能になった人もいるが、すべてそうなったわけでもない。
車の自動運転も実際に使いだしたら、車庫入れくらいしか使わないということになるかもしれない。
 
バーチャルな感覚によって、旅をしなくてもその感覚が得られるようになると言われている。それでもそのバーチャルな体験で、旅に行かなくていいということにはならないだろう。
人が移動しなくても、まったく同じように仕事ができ、友人と一緒に楽しむ感覚が作り出せるのはもっと先の話であろうし、あるいは人間そのものを別な方法で移動させるシステムができるのは、まあ少なくとも100年以上先であろう。
 
新しい技術によって生活が変わっていくことは間違いないが、人間が求めるのは「何もしないでいい社会ではない」ことは確かである。

 作家・医学博士 米山公啓 執筆者紹介

 作家・医学博士 米山公啓

1952年山梨県生まれ。作家・医学博士。専門は神経内科。1998年に聖マリアンナ医科大学内科助教授を退職。現在は週4日、東京都あきる野市にある米山医院で診療を続けるかわたら、実用書や医学ミステリーなどの執筆から、講演、テレビ・ラジオ出演など、幅広い活動を行っている。著作は280冊を超える。主な著作には「もの忘れを90%防ぐ法」(三笠書房)「脳が若返る30の方法」(中経出版)「健康という病」(集英社新書)など。趣味は客船で世界中の海をクルーズすること。

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