男が台所に立つということ

2016年10月18日

「先生、この歳で食事を作るのはつらいですよ、洗濯もしなければいけないし」と外来に来ている85歳の患者さんが言う。
奥さんが認知症になって、家事をしながら介護を続けている。
 
この世代は本当に一度も台所に立ったことがない人が多い。
他の70代の患者さんも、奥さんが骨折で入院して、初めてご飯を炊いたと言う。
「よかったじゃないですが、今のうちから訓練しておけば大丈夫ですよ」励ましのような言葉を私はかけた。
 
昔、テレビで作曲家の團伊玖磨氏が八丈島の別宅で、一人で料理している姿を見たことがある。おおざっぱな料理だったが、どこか格好よく見えた。
男が作る料理というと、どこか格好つけてしまうものだ。やたらに道具に凝ってみたり、素材も自分で厳選してと、周りの者にとってはかえって面倒になるかもしれない。
 
しかし、そんな料理はあくまで趣味の世界であり、高齢になって、介護をしながら、どうしても男が料理をしなくてはいけないというのは、もっと切実でどこか寂しいものに思えてしまうものだ。
それはやはり男が若いうちから台所に立ったことがなく、すべて奥さんまかせだったことが原因だろう。
これからは、家事一般を男も普通にできるようにしておかないといけない時代である。
 
私の亡くなった父親などの世代では、医者が近くのスーパーに買い物に行くことなど考えられなかっただろう。まあ、威厳を保つ必要があると思っていたのかもしれない。
私は幸いにして、威厳など興味もないので、40代のときには、体験として料理学校にも行き、今は家内が仕事でいないことも多いので、自炊することにまったく抵抗がないというか、作らないと食べるものがない。
 
医院の裏にあるスーパーに、自転車に乗って食材を買いに行くことも多い。
そこには近所の知り合いがレジを打っているが、全然気にしない。
洗濯、掃除、ゴミ捨てまでまったく普通の仕事としてやっている。
 
周囲の人はどう見ているか知らないが、そんなことは興味がない。
コンビニで弁当を買ってきて食べればいいことなのだが、やはり時にはまともな味噌汁を作りたくなる。
 
夕方、診療を終えて、医院から300メートルくらい離れた自宅に戻っても、夕飯がないことも多い。
お袋が健在だった頃は、午後6時ちょうどに温かいご飯が用意されていた。それが当たり前のことだった。
診療を終えて、台所に立って、夕飯を作り始める。それはどこか寂しい姿と他人が見れば思うかもしれない。
しかし、こっちは腹が減って、とにかく早く食べられるものをと、フライパンに野菜やキノコを投げ入れて、10分以内に一応食べれるようにするのだ。
 
こんな生活をしていれば、冒頭に書いた患者のような愚痴をこぼすことは、どういうことになってもないように思う。
男は強くなければいけないのではなく、今の時代、料理を作れなければいけない。それも文句も言わず愚痴もこぼさずである。
まさに日々修行の日が続くのだ。

 作家・医学博士 米山公啓 執筆者紹介

 作家・医学博士 米山公啓

1952年山梨県生まれ。作家・医学博士。専門は神経内科。1998年に聖マリアンナ医科大学内科助教授を退職。現在は週4日、東京都あきる野市にある米山医院で診療を続けるかわたら、実用書や医学ミステリーなどの執筆から、講演、テレビ・ラジオ出演など、幅広い活動を行っている。著作は280冊を超える。主な著作には「もの忘れを90%防ぐ法」(三笠書房)「脳が若返る30の方法」(中経出版)「健康という病」(集英社新書)など。趣味は客船で世界中の海をクルーズすること。

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